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呟き尾形の哲学講座 203号
   近世哲学 スピノザ 「エチカ」の方法論:演繹的説明原理 2

 

 

 

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呟き尾形の哲学講座
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登場人物紹介
『呟き尾形』:講師・・・のはず
クニークルス:奇妙な物言うウサギ。生徒のはず
「ムーシコス」:音楽の好きな少年。生徒。
《めぐたん》:魔女ッ娘。生徒
【フォルス・テッセラ】:オチこぼれ占い師
※各台詞は、名前を囲んでいる括弧の人



★★★
『『こんにちは。呟き尾形です』
「こんにちわ。呟き尾形の哲学講座の生徒のムーシコスです」
 こんにちわ。同じく、生徒のはず・・・のクニークルスだよ。
《こんにちわ。ゲストのめぐたんなのだ(v^ー゜)》
「前回はスピノザの「エチカ」の方法論についてだったよね」
 演繹的推論が成立させるには、前提となるものに必然性のある
定義されたものにしなければいけなかったんだよね。
 シニョール呟き尾形。
「でも、スピノザの生きた時代に必然性のあったスピノザの定義
と現代人の定義は違って場合があるって話だったけど、どういう
ことなの?
『幾何学などのいわゆる理数系の学問の定義はそうそう変わるこ
とはありません。
 しかし、法律や倫理といった理数系というよりは、文系のもの
は時代の価値観によって変化するものです』
《ふに、どーゆーことだ?(; ̄ー ̄)...ン?》
『たとえば法律が、殺人罪の刑罰は死刑にすると書いてあるとす
れば、殺人罪の刑罰の定義となります。
 これを定義として前提にすれば、現実に殺人を犯したものには、
論理的に死刑にすべきとの結論は妥当です』
 ごもっともだね。シニョール呟き尾形。
『ところが、現代において、神とは永遠にして完全なものである
と定義するとして、それが現実に意味を持つのかどうかとなると、
現代日本人の多くは、素直に受け入れられる人は少数派といって
いいでしょう。
 むしろ、多くの現代人は、そもそもそもなぜ、神とは永遠にし
て完全なものであると定義しえるのかを疑問に思っているからで
す』
「たしかに、神様のことになると、なんというか信仰によてかわ
るよね」
『誰にでも確実なこととして、神はどのような存在であるか、ど
のように定義されるべきかは定義以前に議論が必用になります。
 その意味では、あやふやな定義ないし、議論する上で誰にでも
自明なことでなければ定義することはできず、混迷した議論にな
らざるを得なくなります』
《えっと、つまり、算数とかは定義できるけれど、宗教とかは時
代によって定義できにくいってことか????r(・x・。)アレ???》
『そうですね。三角形のような、幾何学など、非常に論理的な分
野の定義においては、図形の性質のうち誰もが反論し得ないよう
な部分を選んでそれを定義に含めるため、明確に定義づけするこ
とができます。
 その為、そこから導かれる演繹的な推論は破綻することが少な
いのですが、UFOのような、地球以外の宇宙から来た生命体であ
ると定義しても、それが実際に存在するかどうかは別の話となり
ます』
「つまり、幾何学みたいな、論理的な学問は、定義できれば明晰
かつ確実といえるけれども、そもそも、その定義に基づいて、
UFOというものについて、その属性やら様態やらについてどのよ
うに演繹しても、人間には、明晰かつ確実な表象をもつことがで
きないってことだね」
『はい。その通りです。
 誰が見ても、納得のいくもの、つまり、客観的に確認できるよ
うなものは定義は簡単ですし、わざわざ、定義しなくても、共通
の認識が持てますが、逆に、主観によって左右されるようなもの、
つまり、客観的に確認できないものは定義が難しいのです。
 そして、誰もが納得できる事実と言うものは、経験によって確
信されるものであると考える人が多数です。ですから、定義に基
づく論理によって与えられるものであるというのは、それほど重
要とされないことが多いのです』
 たとえば、ゴリラとか日本では、動物園にはいるけれど、日本
自然の中では野生では存在しないよね。
 客観的には存在するけれども、動物園に行ったことがなければ、
本物のゴリラを見たことがなければ、ゴリラを経験によって確信
できないものがあるとしたら、それはどうなの?
 シニョール呟き尾形。
『そうですね。
 ゴリラを現実として認識できない、つまり、経験的に見るとい
う体験できないものには、たとえ、事実であったとしても、それ
をどんな定義をしても、ゴリラについての正確な表象をもつこと
が不可能であることと同意だということです』
《でもでも、図鑑とかで事細かに書いてあればわかるんじゃない
のか?( ・◇・)?(・◇・ )》
『現実にゴリラを見たことがなければ、現実に認識したとはいい
えないと感じるし、それは想像上の動物だということで説明がつ
いてしまいます』
「たしかに、ドラゴンとかだって同じようにできるものね」
『その通りです。
 つまり、ゴリラについて、確固とした表象を持っていることを
前提にしなければ現実として認識することはできないわけです。
同様に、神をどのように定義したところで、現代人の多くが神に
ついて体験として認識されていなければ、神についてそれ以上の
表象をもつことはできないということになります』
 つまり、神様の信仰とかは、論理的にはできないってことかな、
シニョール呟き尾形。
『まぁ、そうとも言えなくもありません。
 信仰は、無条件に神を信じることを前提とします。
 それは、論理的であるという視点においては、論理の飛躍、あ
るいは神の啓示という大前提によって、もたらされるものだとい
うことです』
「なるほどねぇ。
 つまり、スピノザの当時の信仰は無条件に神の存在を認めてい
たけれども、現代は神について、無条件に信じられるわけではな
い。
 だから、どんなに論理的に正しくてもスピノザの哲学をそのま
ま受け入れられることはないってことか」
『その通りです。
 こうなると、スピノザの哲学は、神は論理によってではなく、
飛躍によって、あるいは啓示によって、我々のうちにもたらされ
るものといいえるのかもしれません』
 それじゃ、アルデベルチ。
 

★★★


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