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相対ゴブリン 01

作品紹介

 え? ホームルーム?
 何かあっただろうか?
 ホームルームなんて毎日繰り返すんだから覚えることなんて何もないじゃ
ないか。
《マリは何にも聞いていなかったのか!》
 毎日繰り返されることに特別変わったことがないのであれば覚えているけ
ど・・・。
 あ、文化祭の催し物でなんだかもめてたよな。
《はは〜ん、話を聞いていなかったな》
 いつもはとぼめているめぐたんだが、こういうのだけはスルドイ・・・図
星だ。
 ホームルームなんて毎日繰り返すんだから、コンピュータプログラムがルー
プを繰り返すように、聞いていても聞いていなくても同じことだが、たまに
は違うことがあるということだ。
《あきれたのだ。
 ホームルームで、文化祭の出し物について話し合っていたのすら聞いてい
ないのか》
 そういえば、もめていたかな。
 僕は、「ああ」と曖昧な返事をした。
《思いだしたな。
 それで、いつも以上にみんな好き勝手なことを入っていたんだけど、いっ
つもみんなの意見をまとめるカオリが、まとめるどころか、いろんな話をし
て、まとめるのと逆のことをしているのだ。》
 カオリさんは、このクラスのクラス委員長。
 頭脳明晰、スポーツ万能で、その上美人の三拍子。
 僕にとっては高嶺の花で、言葉を交わすなんて恐れ多い存在だ。 
 もちろん、彼女に恋焦がれるクラスメイトは、男子だけにとどまらない。
 僕を含めて女子からも人気が高く、カオリさんがクラス委員長になるのは
ある意味必然だったといってもいいだろう。
「あら?
 どうしたの?
 めぐたん」
 うわさをすれば何とやら。
 うわさのカオリさんが流れるような黒髪をなびかせ甘い香りと一緒に優雅
に歩いてくる。
 実際、僕はそんなカオリさんに見とれていた。
 美しい。
 と一言で言ってしまえばそれまでだけど、それは、人類において普遍的に
存在する観念だから表現しえることでもある。
 いってしまえば、美しいと感じるのは、価値認識なのだから、文化や個人
の主観枠にすぎないわけだ。
 つまり、美しいという事柄を、明確に一定の形に定めることは困難だ。
 だからこそ、美しいという観念に、普遍的な定義は設定しきれるものでは
ない。
 それでも、僕らは美しいと感じ、表現するわけだ。
 こうなると、なんだかわからないけれど、美しいと感じる対象には、普通
に考えられる程度をはるかにこえて、僕たちの心の中に、美しいという概念
が刻み込まれているともいえるわけだ。
 こうなるとわからなくなる。
 美しいというのは、各自の価値認識なんだから、美しいという普遍的な定
義ができなくなるが、もし、僕たちの心の中に美しいという概念が刻み込ま
れていれば、美しいという普遍的な定義ができないということ自体おかしい
ことになる。
 そんなことを一瞬思い浮かべていると、めぐたんとカオリさんがなにやら
話し合っていることにやっと気がついた。

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